MOLESKINE。


MOLESKINE(モレスキン)のことなんかまるで知らなかったけどたまたま気に入って使ってるいまの手帳がじつはMOLESKINEだとあとで知ったんだよねー。
とかそんな「本能で違いをかぎわける人」をきどるつもりはない。
MOLESKINEを2年くらい前に初めて見て、知っていた。
雑貨屋さんかどこかで見かけて、かたくてちょっとざらつく独特のてざわりと、シンプルイズベストを地で行くデザインに「これ、いいなあ。」と思ったおぼえが、たしかにある。
知る人ぞ知るアイテムらしいしインターネットでいくらでも出てくるとはおもうが、
MOLESKINEとは手帳、ノートのブランドで
もともとフランスのちいさな文具店によってほそぼそと製作されていたんだけれど、その文具店の倒産にともない、長年にわたり姿を消していた。
けれども、けっこういたファンたちの「あの手帳はもう買えないのか」と惜しむ声にこたえて
イタリアの会社が技術を踏襲してまた生産しはじめた。
いま世界でつかわれてるのはこのリバイバル後のMOLESKINEてことみたい。
なんとピカソやゴッホ、チャトウィンなんかも使っていたんだって。
チャトウィンはマニアックだな。
今年、ちっちゃなMOLESKINEを1冊買って、使っている。
わたしはたぶん一生涯もう手帳といったらMOLESKINEしか使わないんじゃないかと思う。
いきなりぞっこん惚れた。
この愛想も素っ気もない地味なデザイン。
わたしのは水色だがなんだかペンキかなにかペシャっと塗りつけたみたいな、身もふたもない発色。
同じ色のゴムで 留めるようになっている(@_@)ゴム!!
中身もひどいもので
マンスリーとウィークリー、
最後に数ページ、白紙のメモスペース。
あとは申しわけていどに世界の時差一覧、通貨・単位一覧みたいなのがあるがぜんぶ英語表記で読みづらい。
すごすぎる。殺風景すぎる。
そのくせよく見るととても作りがていねいなのだ。
この独特の、かたくて、ちょっとざらつく表紙のてざわり、なんの紙なのかわからないが、
角のところ、丸みにそってきれいにタックを寄せながらカバーリングしているのが、手作業によるものなのはあきらかだ。
角を丸くしなければ、もっとカバーリングが楽に決まっているのに、あえて丸くしている点に心意気を感じる。
ページを開けば巻頭に「この手帳を拾ってくださった方には謝礼○○ドル」と書き込めるところがある。
こんなにもちょっとした簡素な手帳だが
使う人それぞれのものすごく大切なことどもが書き込まれるのだということへの自覚と誇りが、感じられるではないか。
感じたくなるではないか。
巻末には、紙で作った、しかもマチつきの、ポケットがついている(@_@)
ここに何を入れろと言うのか、ちょっと謎なくらいささやかなポケットだが。
でもポケットをわざわざつけてみた、その優しさ。
裏表紙にはちいさく、でもはっきりと、MOLESKINEのロゴが型押しされている。
さらに、
なんとクオリティ・コントロールナンバーなるものが1冊ごとに発番されており、
買ったとき、ナンバーステッカーが添付されていた。
そんな手帳、なかなかないんじゃないか。
不器用なように見えて、使う人をいっしょうけんめい気づかっているこのかんじ。
長年の試行錯誤のすえたぶん「洗練」の域にたっしたのだろう、このシンプルさ。
MOLESKINEは、言ってみれば、ツンデレ手帳だ。
いや、いっそツンデレ手帳以外のなにものでもない。
単純さがむしろわたしにはすごく合っている。
どんなふうにつかっても、手帳に拒否されてないかんじがする。
わたしとわたしの手帳のあいだが、うまくいっていさえすれば、いいではないか。
マンスリーのところは、わたしが買ったのはほんとうに小さい手帳なので、書き込むマスがちいさくて、予定をちょこちょこ入れることしかできないが、
ウィークリーのほうにはけっこう書ける。
観た映画や読んだ本の記録をいれるのにはもちろん、
自分がこんど文章にしたいとおもっていることがなにかあるとして、それについての自分の思考の断片や、手がかりにできそうな言葉を書き込んでおくのに使っている。
ほかのだれにわからなくとも、自分だけは、なぜそれを書いたのか、見ればわかる。
いままでにも、手帳を使ってきたけれど、
なぜいままでは、こういうふうに「自分の考えの種子をしまっておくところ」「思考の帰る場所」として、手帳を使ってこなかったのかなとおもう。
そういうふうに使ってもべつによかったはずなのに。
いま、MOLESKINEの手帳にしてからはあたりまえのようにやっている。そうしてかまわないのだとなぜだか思える。
いやこれは
ほんとにわたしにはピッタリだ。なんて使いやすいんだろう・・
人によるとは思うが、
クリエイティブなお仕事、発想がものをいうお仕事、芸術にたずさわっている方には、もしかしてすごくよかったりするんじゃないかな。
そうだ、なんといってもピカソやゴッホが使っていたんだから!
来年はまよわず大きいほうのMOLESKINEを買おう。
いや、やっぱり小さい方が持ち運びに楽だし小さいのにするかな。
両方買っちゃうかな。
「麒麟の翼」。萩尾望都の対談集。

映画に関してはネタバレはしていません。
きのう、「麒麟の翼」を観た。
おもしろかったなーと、きのうは思ったが、
1日経ってみるとそんなに印象に残っておらず意外と薄味だったんだなというかんじ。
2時間ドラマっぽいといえば、ぽい。かも。
濃かったのは加賀恭一郎の顔だけかー
東野圭吾の小説が原作の映画は、意識してるつもりはないがいままでたまたま、どれも観てて、
そのなかでは「容疑者Xの献身」がもう、絶対的におもしろかった。
ただ単にどれくらい感情移入できたかってことなんだろうな。
人によって、どういうのに感情移入するのかは、ちがうからね。
「麒麟の翼」は、子どものある方にはかなり「来る」映画じゃないかとおもう。
親子で観たりするといいのかもしんない。
観てて飽きるということはなかった。おもしろかった。
わたしの感想などまったく信用ならないので。興味がある方は是非。
萩尾望都「マンガのあなた・SFのわたし 萩尾望都 対談集 1970年代編」(河出書房新社)を読んだ。
萩尾望都さんのマンガはほんとにおもしろい。それに画がきれい。
この本を買ったのも、挿し画がたくさん入ってて萩尾望都さんの画をもっと見られるんじゃないかとおもったから。
本の内容自体に関心があったわけじゃなかった。
読んでみたら内容もすごくおもしろかった。
手塚治虫、石ノ森章太郎、美内すずえ、寺山修司などといったそうそうたる方々と対談していて、好きな人にはたまらないだろうなあ。
わたしは手塚治虫、寺山修司との対談がおもしろかった。
手塚治虫とのときなんかは緊張しすぎてわけわからないことになっており、
手塚治虫のなげかける質問の趣旨をぜんぜん萩尾さんが理解できておらず意味不明な受け答えをしていて、なんだか笑える。
手塚治虫は萩尾望都さんのマンガを読んで、
萩尾望都さんがどういう考えのもとにあのマンガを描いたのかとか、なにから影響をうけたのかとか、いろいろ考えていて、
「こう考えたの?こういう本を読んできた?」などと尋ねるのだが、
萩尾さんは「いや、そういうわけでは・・」「その本はつい最近読みました」「よくわかりません」みたいになっちゃってて話が進まないかどんどん別の方へそれていく(^_^;)
手塚治虫も鷹揚なのかテキトーなのかあんまり深く考えてなくて
まったくかみ合ってないけれどなんとなくたのしいかんじに語り合っておりこれはこれで悪くない対談のような気がする。
萩尾さんも背伸びして知識を見せようなどとこれっぽっちも考えていないらしいところが、ある意味すごい度胸だ。
対談がどうであろうと萩尾望都さんはいまの若いマンガ家さんたちにとっての生ける手塚治虫的存在であり、まちがいなく、うまいマンガ家さんなんだしね。
本人によるあとがきによればやっぱり手塚治虫との対談のときはアガっていたようだ。
手塚治虫がなにを自分と語り合いたかったのか、何年もたってようやくわかったらしい。
そんなもんだよ!
寺山修司との対談は寺山修司の頭の構造が謎すぎる。
寺山修司の、唐突にしてわけわからない質問に
萩尾さんが困り果てつつ一応つきあって一生懸命答えることをとおして、対話が広がっていっている。
寺山修司はたぶん、その回答いかんによって彼女が自分が評価するに値する人間かどうかを決めようとしていたとか、そんなつまらない精神分析ごっこをしたかったわけではない。
ただ単純にそういう気分だったか、緊張していたであろう若いマンガ家さんをリラックスさせようとしたとか、
いずれにせよえらくユニークな人だったんだとおもう。
寺山修司の繰り出す質問もわけわからないが萩尾さんの回答も負けじとえらいことになっている。
でも必死で返したアドリブにしてはおもしろく、寺山修司をもちょっとうならせているかんじ。
たとえば
「生きたカタツムリを100匹もらったら、何に使いますか。」
「困ったなあ・・。お庭に穴掘って、オイルかけて焼きます。」
※萩尾さんが子どもの頃住んでいた場所はわりとかわいた土地で、カタツムリをみつけると珍しくて喜んだのだが、寺山修司と対談したころの住まいは湿気がおおく逆にカタツムリにうんざり、というのが理由。
「この世でいちばん遠い場所はどこだと思いますか。」
「うんと遠い場所、ね。”自分が一歩進んだ時の前の位置”。」
「うん?ああ、そうですね。前の位置ですか。」
「はい、一歩前にいた位置。
「なるほどね。」
なんか深い・・
あと、寺山修司との対談を読んでてもうひとつおもしろかったのは、
当時 萩尾さんが連載をはじめていた、新作への、寺山修司の反応。
萩尾さんが描いてたのは「百億の昼と千億の夜」という、光瀬龍の同名の小説が原作の、SFものだった。
女性のマンガ家さんがSFを描くことがいまよりずっとめずらしく、萩尾さんがほぼひとりでその道をきりひらこうとしていたようなときだった。
「百億の昼と千億の夜」は女性マンガ家の萩尾さんが少年誌に連載していたことや、
原作がすごく高次元のおもしろい小説だったこともあって連載がはじまるまえから いろいろ話題になっていたらしい。
手塚治虫などほかのマンガ家さんも注目していたらしく、
この対談集でも多くの人が、文字にするとけっこうな量になるくらい、時間をさいて、とりあげている。
萩尾さんがどんな考えからあのマンガを描こうとしたのか、あのむずかしい小説をどうまとめようとしているか、みんな、知りたかった。
けど寺山修司の場合は
「いま連載ものがあるわけ?」
「少年チャンピオンに毎週20ページです。」
「なんというものですか。」
「百億の昼と千億の夜。」
「SFですか。」
「編集の人がSF好きなんですね。」
以上。
どんだけ興味ないんだ
寺山修司に会ってみたかった。
わたしのはじめのねらいどおり、萩尾さんの作品のカットがたっくさん掲載されており解説もついていてとても楽しい本だった。
対談相手の方がマンガ家の場合は、その方の作品の画も、何点もみることができる。
わたしもだいぶ萩尾さんのマンガを読んでいて
対談のなかで「あのマンガのあのシーンが、あのセリフが」という話題になったとき
「ああ、あれね」となる確率がかなり高くてわれながらおどろいた。
基本的には1970年代におこなわれた、当時の大先輩や同世代の仲間との対談集だけど、
さいごに特別企画として、「ハチミツとクローバー」の羽海野チカさんとの対談が掲載されていた。
やっぱり 羽海野チカさんは萩尾さんの影響をつよくつよく、受けてきた人なんだなあとおもった。
でもただの模倣や焼き直しではない。
羽海野さんは羽海野さんで、もうとっくに、おもしろい。
楽しい本だったとおもうな。買ってよかった。
サブタイトルが「1970年代編」などとなっていて、もしかして80年代編とか、続編を意識しているんじゃないかと思わされた。
もしそうならまちがいなく続編を読みたい。
諸星大二郎さん、井上雄彦さん、尾田栄一郎さん、空知英秋とかと対談してみてくれないかな。
もっとも空知英秋には萩尾さんが興味がないかもしれないけど(^_^)
「ドラゴンタトゥーの女」。「海洋天堂」。
映画館で映画を観るのがすきだなー。
映画が好きだし映画館も好きだ。
かなりしょっちゅう映画館で映画を観ている。
映画館でなくてもひまさえあればたいがい映画を観ている。
もうデートプランのひとつとかイベントのひとつといった特別っぽいかんじではない、ただの生活の一部だ。
いちいち誰かをさそって観に行ったりはほとんどしない。
そんなにたくさんの友だちなんていない。
もし自分の「映画館で映画を観る」行為すべてに友だちをつきあわせていたら、すぐみんなから「えー!またー?!」といわれるようになってしまうだろう。
この週末も映画館で映画を観た。
土曜日は「ドラゴンタトゥーの女」。
日曜日は「海洋天堂」。
ドラゴンタトゥーすごくおもしろかった・・
楽しみにしてきたかいがあった。
かなり衝撃的だ。むごい場面が多い映画が苦手な方はやめといたほうがいいんだろうとおもう。
わたしも、ところどころしんどくなって目をつぶった。
ただなんというか、気持ち悪いだけ、怖いだけの映画ではなかった。「観てよかったな」という思いの方が強く残った。
リスベットのことがいとおしくてたまらなくなった。
あの人は年齢は大人だけど中身がちいさな女の子のままだった。
デヴィッド・フィンチャー監督の映画をみてると、監督が、性愛をあんまり良きものとしてとらえてないのかな?という感じをうける。
彼の映画にでてくる性的な行為のシーンの描写を、観て喜ぶ人がいるようにはあまり思えない。
すくなくともわたしは、どちらかというと妙に不潔?というかなにかこう場違いで暴力的だなという気持ちになったり、うしろぐらいことをしてるように見えたり、寒々しい気持ちになったり、なんか痛そうだな!!とか思ったりする。
妙に何度も、執拗に、そういうシーンが出てくる。
これはなにか監督に、おもうところがあるんだな、と思わずにはいられない。
あと、彼の映画のなかでは、男性がかっこよく描かれることがすくない。
どちらかというと女性(さらにいうなら赤ちゃんを産む存在としての女性。)の強さや偉大さありきの男性、という描き方をしている場合が多い。
ダニエル・クレイグやブラッド・ピットといった男前の俳優さんをわざわざ出しておいて、物語中で彼らにとりかえしのつかない失敗をさせる。身も世もないほど泣きわめかせたり、女性を傷つける役回りをあたえたりする。
男性をおとすことで女性を上げたいのか、女性にたいする畏怖なのか。
いや、まてよ。ちがうかなあ。
妊娠している女性を映画の中で苦しめたり、少女を傷つけることもよくあるからなあ。
恋愛や結婚生活が基本設定として機能不全におちいったところから始まるストーリーも多い。
人間というものの存在をあまり肯定していない・・か、人間のばからしさ愚かさをいやというほど見つめて、悲しんでいる、みたいな姿勢をかんじる。ばかで愚かだ、でも見限ってしまうこともできないというか。
デヴィッド・フィンチャー監督の映画をぜんぶ観てるわけじゃないけども
ファイトクラブ、パニック・ルーム、セブン、ソーシャルネットワーク、ドラゴンタトゥーの女あたりを観たかんじではそういう感想をもつ。
もっともデヴィッド・フィンチャー監督がストーリーづくりに一から噛んだわけじゃない映画もあるはずで、
ドラゴンタトゥーの女なんかはれっきとした原作があるのだから、
デヴィッド・フィンチャー監督が「そういう映画を作りたがってる」というよりは
「そういう要素を持ったストーリーやプロットに惹かれやすい監督だ」ということなのかもしれない。
または
「そういう映画をつくらせるとすごくうまい監督だ。」かもしれない。
それから、
かなり強い、宗教のにおい。
それも、どちらかというとアンチ的なにおいかなあ・・
どうしてなのかね。
わたしはデヴィッド・フィンチャーがつくる映画がなんだか好きだ。
彼の映画だと知らずに観ても、良かったなと思ってあとで調べたら「これデヴィッド・フィンチャーだったのか」となることが続いたので、
いまや彼が監督の映画はつとめて観るようにしている。
暗いハードな物語が多く、観るとたいてい、「トホホ(T_T)」となって1週間くらいメンタルの低迷に悩まされるが、
それでもなにか、観たくなるし、すきだなあ。と感じる。
クリント・イーストウッド
ラース・フォン・トリアー
デヴィッド・フィンチャー
マーティン・スコセッシ
クリストファー・ノーラン
是枝裕和
堤幸彦
黒澤明
河瀬直美
といった映画監督さんの映画については、
「この人が監督だから観たい」
という考え方を、する。
ラース・フォン・トリアーに関しては厳戒態勢をしいていて、観るか観ないかさらなる吟味と、いずれにせよ決断には覚悟が必要なんだが。
でもどうして「この人が監督だから」とかおもうんだろう。
映画監督がなにをする仕事なのかよく知りもしないのに。
もしかしたらその映画がおもしろいのは監督うんぬんではなく映像や脚本や、俳優さんの演技のためなのかもしれないのに。
ただいつも、スコセッシや河瀬直美やフィンチャー監督の映画は、おもしろい。
なんなんだろう。
なにがちがうとおもっているのか自分でよくわからない。
それがわかったら映画を観るのがもっとたのしくなりそうだし、おもしろい映画に出会える確率が上がりそうだなあ。
考え方がかたよってつまんなくなってしまうかなあ?
日曜日に観た「海洋天堂」は、もう去年の夏からいまにいたるまでゆうに10回以上は観てきたかとおもう。
都内と神奈川県内、電車で行けるところならすべての上映館をおいかけた。
わたしはこの映画を深く愛している。
一昨年の秋くらいからずっとずっとこの映画のことを考えてきた。
2011年7月9日の公開初日をそれこそ指折り数えて待ち望んできた。いまでもかわらずこの映画の存在を励みにして毎日がんばっている。
こんなにも長くわたしを支えてくれて、偉大な映画だとおもっている。
わたしは「海洋天堂」について思い入れや主観ぬきの、冷静な感想を書くことが、とてもできない。
おどろくべきロングランだがさすがにもうさよならの時期がちかづいてきている。
だからいまさら人に「映画館で観てください」と言うのもあんまり現実的じゃない。
春に、DVDが発売されることになっているから、お店で見かけたら手にとってカバーだけでもながめてみてほしいとおもう。
「海洋天堂」がおわってしまったらほんとにさびしい。
つぎは10月の「エクスペンダブルズ」を待たなくてはいけないのか・・
ニュー・ドラゴン・ゲート・インと白蛇伝説はいつ日本で公開されるのかな(T_T)
映画が好きだし映画館も好きだ。
かなりしょっちゅう映画館で映画を観ている。
映画館でなくてもひまさえあればたいがい映画を観ている。
もうデートプランのひとつとかイベントのひとつといった特別っぽいかんじではない、ただの生活の一部だ。
いちいち誰かをさそって観に行ったりはほとんどしない。
そんなにたくさんの友だちなんていない。
もし自分の「映画館で映画を観る」行為すべてに友だちをつきあわせていたら、すぐみんなから「えー!またー?!」といわれるようになってしまうだろう。
この週末も映画館で映画を観た。
土曜日は「ドラゴンタトゥーの女」。
日曜日は「海洋天堂」。
ドラゴンタトゥーすごくおもしろかった・・
楽しみにしてきたかいがあった。
かなり衝撃的だ。むごい場面が多い映画が苦手な方はやめといたほうがいいんだろうとおもう。
わたしも、ところどころしんどくなって目をつぶった。
ただなんというか、気持ち悪いだけ、怖いだけの映画ではなかった。「観てよかったな」という思いの方が強く残った。
リスベットのことがいとおしくてたまらなくなった。
あの人は年齢は大人だけど中身がちいさな女の子のままだった。
デヴィッド・フィンチャー監督の映画をみてると、監督が、性愛をあんまり良きものとしてとらえてないのかな?という感じをうける。
彼の映画にでてくる性的な行為のシーンの描写を、観て喜ぶ人がいるようにはあまり思えない。
すくなくともわたしは、どちらかというと妙に不潔?というかなにかこう場違いで暴力的だなという気持ちになったり、うしろぐらいことをしてるように見えたり、寒々しい気持ちになったり、なんか痛そうだな!!とか思ったりする。
妙に何度も、執拗に、そういうシーンが出てくる。
これはなにか監督に、おもうところがあるんだな、と思わずにはいられない。
あと、彼の映画のなかでは、男性がかっこよく描かれることがすくない。
どちらかというと女性(さらにいうなら赤ちゃんを産む存在としての女性。)の強さや偉大さありきの男性、という描き方をしている場合が多い。
ダニエル・クレイグやブラッド・ピットといった男前の俳優さんをわざわざ出しておいて、物語中で彼らにとりかえしのつかない失敗をさせる。身も世もないほど泣きわめかせたり、女性を傷つける役回りをあたえたりする。
男性をおとすことで女性を上げたいのか、女性にたいする畏怖なのか。
いや、まてよ。ちがうかなあ。
妊娠している女性を映画の中で苦しめたり、少女を傷つけることもよくあるからなあ。
恋愛や結婚生活が基本設定として機能不全におちいったところから始まるストーリーも多い。
人間というものの存在をあまり肯定していない・・か、人間のばからしさ愚かさをいやというほど見つめて、悲しんでいる、みたいな姿勢をかんじる。ばかで愚かだ、でも見限ってしまうこともできないというか。
デヴィッド・フィンチャー監督の映画をぜんぶ観てるわけじゃないけども
ファイトクラブ、パニック・ルーム、セブン、ソーシャルネットワーク、ドラゴンタトゥーの女あたりを観たかんじではそういう感想をもつ。
もっともデヴィッド・フィンチャー監督がストーリーづくりに一から噛んだわけじゃない映画もあるはずで、
ドラゴンタトゥーの女なんかはれっきとした原作があるのだから、
デヴィッド・フィンチャー監督が「そういう映画を作りたがってる」というよりは
「そういう要素を持ったストーリーやプロットに惹かれやすい監督だ」ということなのかもしれない。
または
「そういう映画をつくらせるとすごくうまい監督だ。」かもしれない。
それから、
かなり強い、宗教のにおい。
それも、どちらかというとアンチ的なにおいかなあ・・
どうしてなのかね。
わたしはデヴィッド・フィンチャーがつくる映画がなんだか好きだ。
彼の映画だと知らずに観ても、良かったなと思ってあとで調べたら「これデヴィッド・フィンチャーだったのか」となることが続いたので、
いまや彼が監督の映画はつとめて観るようにしている。
暗いハードな物語が多く、観るとたいてい、「トホホ(T_T)」となって1週間くらいメンタルの低迷に悩まされるが、
それでもなにか、観たくなるし、すきだなあ。と感じる。
クリント・イーストウッド
ラース・フォン・トリアー
デヴィッド・フィンチャー
マーティン・スコセッシ
クリストファー・ノーラン
是枝裕和
堤幸彦
黒澤明
河瀬直美
といった映画監督さんの映画については、
「この人が監督だから観たい」
という考え方を、する。
ラース・フォン・トリアーに関しては厳戒態勢をしいていて、観るか観ないかさらなる吟味と、いずれにせよ決断には覚悟が必要なんだが。
でもどうして「この人が監督だから」とかおもうんだろう。
映画監督がなにをする仕事なのかよく知りもしないのに。
もしかしたらその映画がおもしろいのは監督うんぬんではなく映像や脚本や、俳優さんの演技のためなのかもしれないのに。
ただいつも、スコセッシや河瀬直美やフィンチャー監督の映画は、おもしろい。
なんなんだろう。
なにがちがうとおもっているのか自分でよくわからない。
それがわかったら映画を観るのがもっとたのしくなりそうだし、おもしろい映画に出会える確率が上がりそうだなあ。
考え方がかたよってつまんなくなってしまうかなあ?
日曜日に観た「海洋天堂」は、もう去年の夏からいまにいたるまでゆうに10回以上は観てきたかとおもう。
都内と神奈川県内、電車で行けるところならすべての上映館をおいかけた。
わたしはこの映画を深く愛している。
一昨年の秋くらいからずっとずっとこの映画のことを考えてきた。
2011年7月9日の公開初日をそれこそ指折り数えて待ち望んできた。いまでもかわらずこの映画の存在を励みにして毎日がんばっている。
こんなにも長くわたしを支えてくれて、偉大な映画だとおもっている。
わたしは「海洋天堂」について思い入れや主観ぬきの、冷静な感想を書くことが、とてもできない。
おどろくべきロングランだがさすがにもうさよならの時期がちかづいてきている。
だからいまさら人に「映画館で観てください」と言うのもあんまり現実的じゃない。
春に、DVDが発売されることになっているから、お店で見かけたら手にとってカバーだけでもながめてみてほしいとおもう。
「海洋天堂」がおわってしまったらほんとにさびしい。
つぎは10月の「エクスペンダブルズ」を待たなくてはいけないのか・・
ニュー・ドラゴン・ゲート・インと白蛇伝説はいつ日本で公開されるのかな(T_T)
さよならローソン。ベルセルク。J・エドガー。
この1週間でいちばんおどろいたこと。
わたしの家の近所のローソンが閉店する!!
なんということだ!
わたしが7歳のころにはまちがいなくもうあった。それ以前にもあったかもしれない。20年以上もあたりまえのようにあったのに!!
いやー すごいショック。ローソンがないあの場所なんて想像できない。
ウエストサイドストーリーの千秋楽公演のチケットをとったのもあのローソンだったなあ・・
銀魂の第1巻を買ったのもあのローソンでだったし・・
会社からの帰り道でとつぜん血糖値が暴落してほとんど這うようにしてあのローソンにたどりつきアメとジュースを買ってお店の前で補給してたら店員さんが心配してでてきて氷水をくれたっけ・・
わたしの弟が、タバコを買っているところを中学の担任の先生に見られて、ネコのように首根っこをつかまれて家に連行され母ともども超がつくほどきつーい説教をくらったのもあのローソンが発端だった・・
弟は結局タバコをやめなくて高校のクラス親睦合宿でも吸って停学および丸刈りの刑となったものだが。
まあそれはどうでもいいんだが(いやどうでもよくはないか)
なんてことだ!
あのローソンがなくなる!
ショック(/_;)
あーあ。
そんなローソンで「ベルセルク」というマンガのペーパーバック版が販売されていて、きょうとりあえず店頭にあったものをすべて立ち読みしてみた。
最近、「ベルセルク」という言葉をよく耳にするので気になっていた。
まだ完結してないと知って、いささか、ぞっとした。
おもしろすぎて、なぜか、これはまずい!というような気にさえなった。
もう少なくとも完結までは、読まないでおこう・・
絵柄の迫力がすさまじい。ゴリゴリ書き込んでいてもう遠目にみてもページ全体が真っ黒。ストーリーや設定にはおよそスキというものが感じられず、緻密とはまさにこのことってかんじ。
こんなの20年も描きつづけているんじゃ作家さんの体はもうボロボロだろうなあ。ちゃんと最終回まで描けるんだろうか。
世の中にはすごいマンガを描く人がたくさんいるもんだなとおもう。
わたしがもともと好きなワンピースやブリーチやチェーザレなどだけではなくていろいろな個性のそれぞれの良さを持ったマンガがいっぱいあるんだなー。
先週、「J・エドガー」という映画を観た。
観た直後は、共感しづらいなんだかむずかしい映画だったなあという気がした。
けれどすこし経ってみて、「共感しにくかった」のはなぜなのかを考えたりしていたら、あの映画がなんだったのかがすこしわかった気がした。
あの映画はエドガー・フーヴァーの姿をとおして、アメリカという国そのものの姿を描き出そうとしていたんじゃないかとおもう。
いまのところあの映画について考えていてわかった気がしたのはその点だけ。
今週末は「ドラゴンタトゥーの女」をぜひ観にいってきたい。あと、前売り券を買って待ちに待ったひさびさの「海洋天堂」。
たのしみだなー!
わたしの家の近所のローソンが閉店する!!
なんということだ!
わたしが7歳のころにはまちがいなくもうあった。それ以前にもあったかもしれない。20年以上もあたりまえのようにあったのに!!
いやー すごいショック。ローソンがないあの場所なんて想像できない。
ウエストサイドストーリーの千秋楽公演のチケットをとったのもあのローソンだったなあ・・
銀魂の第1巻を買ったのもあのローソンでだったし・・
会社からの帰り道でとつぜん血糖値が暴落してほとんど這うようにしてあのローソンにたどりつきアメとジュースを買ってお店の前で補給してたら店員さんが心配してでてきて氷水をくれたっけ・・
わたしの弟が、タバコを買っているところを中学の担任の先生に見られて、ネコのように首根っこをつかまれて家に連行され母ともども超がつくほどきつーい説教をくらったのもあのローソンが発端だった・・
弟は結局タバコをやめなくて高校のクラス親睦合宿でも吸って停学および丸刈りの刑となったものだが。
まあそれはどうでもいいんだが(いやどうでもよくはないか)
なんてことだ!
あのローソンがなくなる!
ショック(/_;)
あーあ。
そんなローソンで「ベルセルク」というマンガのペーパーバック版が販売されていて、きょうとりあえず店頭にあったものをすべて立ち読みしてみた。
最近、「ベルセルク」という言葉をよく耳にするので気になっていた。
まだ完結してないと知って、いささか、ぞっとした。
おもしろすぎて、なぜか、これはまずい!というような気にさえなった。
もう少なくとも完結までは、読まないでおこう・・
絵柄の迫力がすさまじい。ゴリゴリ書き込んでいてもう遠目にみてもページ全体が真っ黒。ストーリーや設定にはおよそスキというものが感じられず、緻密とはまさにこのことってかんじ。
こんなの20年も描きつづけているんじゃ作家さんの体はもうボロボロだろうなあ。ちゃんと最終回まで描けるんだろうか。
世の中にはすごいマンガを描く人がたくさんいるもんだなとおもう。
わたしがもともと好きなワンピースやブリーチやチェーザレなどだけではなくていろいろな個性のそれぞれの良さを持ったマンガがいっぱいあるんだなー。
先週、「J・エドガー」という映画を観た。
観た直後は、共感しづらいなんだかむずかしい映画だったなあという気がした。
けれどすこし経ってみて、「共感しにくかった」のはなぜなのかを考えたりしていたら、あの映画がなんだったのかがすこしわかった気がした。
あの映画はエドガー・フーヴァーの姿をとおして、アメリカという国そのものの姿を描き出そうとしていたんじゃないかとおもう。
いまのところあの映画について考えていてわかった気がしたのはその点だけ。
今週末は「ドラゴンタトゥーの女」をぜひ観にいってきたい。あと、前売り券を買って待ちに待ったひさびさの「海洋天堂」。
たのしみだなー!
10月を目指せ。
毎日生きている。
すこし疲れている。
でも大丈夫。まだいける。
大丈夫っていう言葉はおもしろい。
中国の古典なんか読んでいると大丈夫という言葉が「心身ともにしっかりしてお国のためにりっぱに役立つ働きをする男の人」みたいな意味合いででてくるんだよ。封神演義でいう武吉、三国志演義でいう呂布みたいなかんじだろうか。呂布でなくても三国志は大丈夫のオンパレード、大丈夫祭りみたいなもんだが。「大丈夫たるもの○○するべし」みたいな文脈でつかわれててさ、
「イッツ・オーライ」か「ノー・プロブレム」の意味でしかつかわない、いま、「大丈夫」っていう言葉は。
だからすごくへんなかんじがする。
けどそういう立派な男の人っていうかんじの意味がほんとうはあるみたいだね。ああおもしろい。
大丈夫、大丈夫。
他の誰でもなくこのわたしを必要としてくれる人がいるというのはすごく心強いものだ。
自分のことがまったく信じられないというか、いままで、こうかな?とおもってきた基準や価値観みたいなものがまちがっていたかもしれない、通用しないかもしれない、というかんじがしていて、
けれどもそのあいかわらずなわたしの、感じていることの内容や、わたしが書くことに、寄り添ってくれる人がいると知ったとき、どれほど安心し救われることか。
それに信用できる友だちがいて、その友だちたちは、わたしといっしょに食事をしたり、ばかみたいな話で笑いあったりすることを、喜んでくれる。
そういうことがほんとうにありがたい。
今年の夏に米国で公開の「エクスペンダブルズ2」のオフィシャルサイトができている。
まだ日本語版のはなくサイトの文章はすべて英語だけど。
マイティ・ソーのクリス・ヘムズワースが出るみたいだ。
1作目ではジェイスン・ステイサムがだいぶ目立っていた。
わたしは彼のこともだいすきだからジェイスン・ステイサムが今回も準主役であることに異存はないが
言うまでもなく、やっぱり、どう考えても
ジェットにもっと暴れてほしい!
トレイラーでは、第1作にはなかった場面、2の場面だとはっきりわかる、スタローンやジェイスン・ステイサムの新しいシーンを観られるけど、ジェットのところだけ第1作のときのらしいシーンがつかわれていてさびしい。
あの白いシャツを2でも彼に着せるとはおもえないし・・
ドルフ・ラングレンとケンカしたときだいぶ汚れたはずだし・・
そりゃジェットはたしかにファッションに頓着がない人ではあるが
ヤンなのだからもうちょっとおしゃれするだろう。
まだジェットのハイライトシーンの撮影はすんでいなかったのかな。
エクスペンダブルズ2は日本でも今年の10月に公開だそうだ。
10月がいまからたのしみだなあ。
花粉症も夏バテも乗り越えて10月に会いに行かなければ。
すこし疲れている。
でも大丈夫。まだいける。
大丈夫っていう言葉はおもしろい。
中国の古典なんか読んでいると大丈夫という言葉が「心身ともにしっかりしてお国のためにりっぱに役立つ働きをする男の人」みたいな意味合いででてくるんだよ。封神演義でいう武吉、三国志演義でいう呂布みたいなかんじだろうか。呂布でなくても三国志は大丈夫のオンパレード、大丈夫祭りみたいなもんだが。「大丈夫たるもの○○するべし」みたいな文脈でつかわれててさ、
「イッツ・オーライ」か「ノー・プロブレム」の意味でしかつかわない、いま、「大丈夫」っていう言葉は。
だからすごくへんなかんじがする。
けどそういう立派な男の人っていうかんじの意味がほんとうはあるみたいだね。ああおもしろい。
大丈夫、大丈夫。
他の誰でもなくこのわたしを必要としてくれる人がいるというのはすごく心強いものだ。
自分のことがまったく信じられないというか、いままで、こうかな?とおもってきた基準や価値観みたいなものがまちがっていたかもしれない、通用しないかもしれない、というかんじがしていて、
けれどもそのあいかわらずなわたしの、感じていることの内容や、わたしが書くことに、寄り添ってくれる人がいると知ったとき、どれほど安心し救われることか。
それに信用できる友だちがいて、その友だちたちは、わたしといっしょに食事をしたり、ばかみたいな話で笑いあったりすることを、喜んでくれる。
そういうことがほんとうにありがたい。
今年の夏に米国で公開の「エクスペンダブルズ2」のオフィシャルサイトができている。
まだ日本語版のはなくサイトの文章はすべて英語だけど。
マイティ・ソーのクリス・ヘムズワースが出るみたいだ。
1作目ではジェイスン・ステイサムがだいぶ目立っていた。
わたしは彼のこともだいすきだからジェイスン・ステイサムが今回も準主役であることに異存はないが
言うまでもなく、やっぱり、どう考えても
ジェットにもっと暴れてほしい!
トレイラーでは、第1作にはなかった場面、2の場面だとはっきりわかる、スタローンやジェイスン・ステイサムの新しいシーンを観られるけど、ジェットのところだけ第1作のときのらしいシーンがつかわれていてさびしい。
あの白いシャツを2でも彼に着せるとはおもえないし・・
ドルフ・ラングレンとケンカしたときだいぶ汚れたはずだし・・
そりゃジェットはたしかにファッションに頓着がない人ではあるが
ヤンなのだからもうちょっとおしゃれするだろう。
まだジェットのハイライトシーンの撮影はすんでいなかったのかな。
エクスペンダブルズ2は日本でも今年の10月に公開だそうだ。
10月がいまからたのしみだなあ。
花粉症も夏バテも乗り越えて10月に会いに行かなければ。







